3機の蒸気機関車の原寸大段ボール模型を制作。
鉄道ファンでなくてもその迫力とエネルギーに世界が驚愕!
段ボール工芸家の島英雄さんが段ボールで作ったC62形 蒸気機関車が「段ボールで作られた世界で最大の乗り物の造形作品」としてギネス世界記録に認定されました。
認定は2021年3月4日付
2021年1月10日放映 テレビ
朝日「ナニコレ珍百景」に登録されました。
■ダンボールで作った巨大なもの(熊本県南関町)
https://www.tv-asahi.co.jp/nanikore/backnumber/0092/
1949年(昭和24年)東京都渋谷区に生まれる。
小学校入学前から機関区に通い、機関車部品の採寸を通して設計図面の収集をはじめる。
父親の友人に建築家の佐藤武夫氏とD51や新幹線を設計した島秀雄氏(同姓同名)がおり、幼年期より両名から強い影響を受けて育つ。のちに建築を学ぶ道を選択し、25歳で設計事務所を設立。
45歳のときに脳腫瘍(下垂体腫瘍)を患い、47歳で視力を失うが52歳にして社会復帰、60歳で事務所を譲渡したあと退職。これまでに培った段ボールによる大規模構造体モックアップ(原寸模型)の制作技術を駆使したSL原寸模型の制作準備に入る。
C62(シロクニ)形は、日本最大の旅客用蒸気機関車です。
貨物用のD51形に比べると一回り大きく、スピードも群を抜いていて、C62-17号機は、1954年(昭和29年)日本最高速129kmの記録を樹立しました。
1号機から21号機までが日立製作所、22号機から36号機までが川崎車両、37号機から49号機まで汽車製造が、1948年(昭和23年)〜1949年(昭和24年)にかけて製造されました。
50年前、銀河鉄道999のモデルになった機関車で、いまでも鉄道ファン憧れの存在です。
●現在新幹線を製造している日立製作所の笠戸工場が全面的にバックアップして頂いた作品です。
「デゴイチ」の愛称で親しまれ、日本のSLの代名詞となったD51形蒸気機関車は、1936年から1945年までの間に1,115両が製造されました。戦時中は貨物機として活躍し、戦後は旅客輸送の増加に対応するために客車も牽引しました。
D51のラストナンバーは1161です。1944年(昭和19年)に製造されました。その後製造がなかったため、ダンボール製デゴイチのナンバープレート(番号板)には「D511162」を付けることにしました。材料は使い古しのダンボール箱約4000個、長崎県南島原市の廃業した青果市場と素麺の組合から譲りうけました。平成25年3月〜12月まで小さな倉庫の中で10ヶ月かけて作りました。日本各地50箇所を旅してきたので、部品はかなり痛んでいますのでホテルセキアが最後の展示となるでしょう。
●2016年南島原市寄贈
※現在展示しておりません
今から150年ほど前、明治新政府は10台の蒸気機関車を英国から輸入、そのうちの1台がバルカン・ファウンドリー社の機関車で、1871年(明治4年)英国出国時の船荷番号が1番だったことから「1号機関車」と呼ばれるようになりました。(正式名旧国鉄150形)
1872年(明治5年)新橋ー品川間の開業運転の主役を勤め、その後1880年に神戸で大幅な改造が行われたのち、武豊線、横須賀線、大阪駅構内へと転属を繰り返し、1911年(明治44年)長崎県の島原鉄道に譲渡。1930年(昭和5年)旧国鉄に戻り現在大宮市の鉄道博物館に保存展示されています。しかし改造を重ね、輸入当時の原型を見たいとの思いから復元を試みることにしました。残されていた1枚の図面をベースに、博物館の実機を採寸し世界で始めて「製造当初の姿」を再現することに成功。鉄道ファンのみならず、機械工業界、産業歴史文化、世界的にも貴重な展示となります。
さいたま市の鉄道博物館
所蔵の一号機関車
※現在熊本八代市に出張しております
1号機関車は性能が悪かったため、1880年に神戸で大幅な改造が行われ、1911年(明治44年)長崎県の島原鉄道に譲渡されました。1930年(昭和5年)旧国鉄に戻されるまでの約20年間長崎県島原半島の輸送機能を担いました。現在鉄道博物館に展示されていますが、改造を重ね輸入当時の面影も島鉄時代の姿でもないので、現役最後の外形を再現したいとの島鉄からの依頼を受け、2017年再現計画を始動。
翌年2018年11月に完成しました。原型と並べて見比べるとその違いがはっきり分かるので、鉄道ファンには見逃せない展示となります。
●2022年より島原鉄道 寄贈予定
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0968-69-6111